JU広島(二村義春理事長)は6月9日、市内のリーガロイヤルホテル広島に於いて、5月19日の総会で名誉会長となり、第一線から退いた上松会長の労をねぎらう会「上松倉人名誉会長慰労会」を催した。
会の冒頭、二村義春理事長は、「上松名誉会長は、会長として10年、理事として約28年もの間、JU広島の発展のために尽くしていただいた。副会長制度の導入、毎月監査の実施、会長になりすぐに会員への利用分配当の実施、そして最大の事業は学校の校舎を活用するという千代田町への移転。この決断は我々ではできなかった。その他にも経費を自己負担で、軽自動車の課税免除、車検の延長問題などの陳情活動など、会員のために力を尽くしてくれた。私自身も、広島クライスラー権を得るとき、土地の確保や個人保証、さらに社員の採用までお世話になり、一生掛けても返せない恩がある。私の人生は上松名誉会長無しでは語れない。その上松氏から命を受け、会長を受けたのでしっかり務めたい。上松名誉会長ありがとうございました」と、感極まり、涙に詰まりながら謝辞を述べた。
挨拶に立った上松倉人名誉会長は、「今日は故山田前会長の話に触れたい。旧役員体制の時、一時資金運用のまずさがあり、JU広島の経営が危なかった時期があった。結果、そのことが切っ掛けでJU広島は役員体制が一新し、故山田氏にお願いし、会長に就任して頂いた。
しかし、私は不眠不休でオートザムの立ち上げやロータスの役員などを兼務しており、十分に山田会長をサポートが出来なかった。同氏は会長退任半年後に、肺癌を患い帰らぬ人となった。この事はこれまで誰にも言わず胸に秘めていた。無理をさせた」と、前会長に対しての思いを語った。
その他にオートザムをマツダの担当者と展開した時のエピソードなどを紹介、最後に「二村新体制になったが、皆で協力し、一枚岩となりJU広島の発展に努力して頂きたい」と感謝の言葉を述べた。
会の冒頭、二村義春理事長は、「上松名誉会長は、会長として10年、理事として約28年もの間、JU広島の発展のために尽くしていただいた。副会長制度の導入、毎月監査の実施、会長になりすぐに会員への利用分配当の実施、そして最大の事業は学校の校舎を活用するという千代田町への移転。この決断は我々ではできなかった。その他にも経費を自己負担で、軽自動車の課税免除、車検の延長問題などの陳情活動など、会員のために力を尽くしてくれた。私自身も、広島クライスラー権を得るとき、土地の確保や個人保証、さらに社員の採用までお世話になり、一生掛けても返せない恩がある。私の人生は上松名誉会長無しでは語れない。その上松氏から命を受け、会長を受けたのでしっかり務めたい。上松名誉会長ありがとうございました」と、感極まり、涙に詰まりながら謝辞を述べた。
挨拶に立った上松倉人名誉会長は、「今日は故山田前会長の話に触れたい。旧役員体制の時、一時資金運用のまずさがあり、JU広島の経営が危なかった時期があった。結果、そのことが切っ掛けでJU広島は役員体制が一新し、故山田氏にお願いし、会長に就任して頂いた。
しかし、私は不眠不休でオートザムの立ち上げやロータスの役員などを兼務しており、十分に山田会長をサポートが出来なかった。同氏は会長退任半年後に、肺癌を患い帰らぬ人となった。この事はこれまで誰にも言わず胸に秘めていた。無理をさせた」と、前会長に対しての思いを語った。
その他にオートザムをマツダの担当者と展開した時のエピソードなどを紹介、最後に「二村新体制になったが、皆で協力し、一枚岩となりJU広島の発展に努力して頂きたい」と感謝の言葉を述べた。