‐22年を振り返って‐
「本当にあっという間の22年間だった。当時は高速道が開通しておらず、宮崎から加久藤トンネルや人吉のループ橋を渡り球磨川沿いを走って福岡まで毎週往復した。オークション事業は一人では出来ない。これまで支えて頂いた会員皆様と社員のお陰と心から感謝している。」
‐一番の思い出は‐
やはり、苦難の連続だった福岡会場のオープンが一番の思い出。旧会場は老朽化したが当グループのオークション事業の礎。創業時のいろいろな思いがある。今後も壊すことはない。
‐一番の決断は‐
今の新福岡会場を建設した平成11年。第3会場の山口会場のオープンも同時に進めたので、金融機関から25億もの資金を調達した。
‐今後の課題は
今、中古車業界は官製不況(原発処理の長期化)の影響を受け、厳しい局面にあるが全役員・社員の努力で福岡・えびの・山口の3会場は順調に推移している。後は2009年6月にグループ化し今年3年目を迎える京都AA(KAA)の事業の立て直しだと考えている。
「本当にあっという間の22年間だった。当時は高速道が開通しておらず、宮崎から加久藤トンネルや人吉のループ橋を渡り球磨川沿いを走って福岡まで毎週往復した。オークション事業は一人では出来ない。これまで支えて頂いた会員皆様と社員のお陰と心から感謝している。」
‐一番の思い出は‐
やはり、苦難の連続だった福岡会場のオープンが一番の思い出。旧会場は老朽化したが当グループのオークション事業の礎。創業時のいろいろな思いがある。今後も壊すことはない。
‐一番の決断は‐
今の新福岡会場を建設した平成11年。第3会場の山口会場のオープンも同時に進めたので、金融機関から25億もの資金を調達した。
‐今後の課題は
今、中古車業界は官製不況(原発処理の長期化)の影響を受け、厳しい局面にあるが全役員・社員の努力で福岡・えびの・山口の3会場は順調に推移している。後は2009年6月にグループ化し今年3年目を迎える京都AA(KAA)の事業の立て直しだと考えている。