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山川博功コラムVOL.001

  • 山川博功(やまかわ・ひろのり)氏 山川博功(やまかわ・ひろのり)氏
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【創業と初期の事業展開】
 創業から20年の歴史を振り返ると、私たちの会社は小さなスタートから始まり、数々の挑戦と困難を乗り越えて成長してきた。2004年3月に創業し、社名の由来には横島な気持ちを持たず、「まっすぐ進む」という意味が込められている。当初は中古車の買取業務を主軸とし、同時にヤフオクを通じて買取車両から取り外した社外オーディオやナビ、テレビなどの車のパーツを販売するという、二本柱で事業を展開していた。中古車の買取から、オークション出品、さらに社外品のパーツ販売と、比較的スモールスケールなビジネスモデルを展開していたのである。

【輸出事業への挑戦と失敗】
 創業からしばらくは安定した成長を遂げていたが、事業を本格的に拡大しようとする中で、私たちは輸出事業に乗り出す決断をした。しかし、これが大きな転機となり、初めて大規模な損失を経験することになる。最初に手を出したミャンマーでの輸出事業は、2500万円という損失を出し、早々に撤退を余儀なくされた。この時点で輸出事業のリスクを痛感したが、次に目をつけたニュージーランド市場でも、今度は2億5000万円もの大損害を受けることとなった。これらの苦い経験から、私たちは外国市場でのビジネスの難しさを改めて認識し、特に後払い方式の取引に伴うリスクの高さを実感した。ニュージーランドでの経験は特に厳しく、リスクマネジメントの重要性を深く刻み込まれることとなった。とはいえ、輸出事業そのものを諦めることはなく、自分たちにしかできない独自のビジネスモデルを模索することとなった。その結果、ドリフトカーに特化した輸出ビジネスに着手することを決意した。

【ドリフトカー市場での成功】
 ドリフトカーに特化したこの新しいビジネスモデルは、従来の車両輸出とは一線を画すものだった。ドリフトカーに関する深い知識と自身のレース経験を生かしながら、独自の市場を開拓していくことに成功したのである。特にUSAやUKといった信頼できる市場に焦点を絞り、先に支払いを受ける形式を採用することで、リスクを最小限に抑えつつ、着実に利益を上げることができた。これにより、ようやく輸出ビジネスでの成功を収めることができた。また、2006年には自社サイトの運営を開始し、インターネットを活用したビジネスへと段階的に移行していった。当時、他の輸出業者が価格を非公開にする中で、私たちは全車両の価格を公開するという透明性を重視したビジネスモデルを採用した。これが市場での差別化要因となり、瞬く間に顧客からの信頼を獲得することができた。

【今後の展望と継続的な成長】
 この20年間で、当初わずかな車両買取から始まったビジネスは、全世界に向けた輸出事業にまで成長し、7000台もの在庫を抱え、掲載台数は40万台を超えるまでになった。その成功の背景には、数多くの失敗から学び、挑戦し続ける姿勢があったことがわかる。私たちの成長は、失敗を恐れずに新しいビジネスモデルに挑戦し続けた結果であり、これからもこの姿勢を持ち続けることで、さらなる発展を遂げることができると確信している。さらに、インターネットを活用したビジネスへの移行は、時代の変化に対応した戦略的な選択であった。自社サイトでの取引を中心に据えることで、より顧客との直接的なコミュニケーションが可能となり、顧客満足度の向上につながっている。これにより、私たちは今後も顧客との信頼関係を強化し、持続的な成長を続けることができるだろう。 このように、私たちの会社は、創業から20年にわたり、多くの困難を乗り越え、成功を収めてきた。この成功の背後には、失敗から学び、新しい挑戦を恐れずに進んできた姿勢がある。これからも私たちは、この姿勢を大切にしながら、更なる発展を目指していく。

【プロフィール】
山川博功(やまかわ・ひろのり)氏
1971年鹿児島県生まれ福岡に育つ。明治大学文学部フランス文学専攻卒。93 年東京日産自動車販売(現日産東京販売HD)入社。優秀新人営業賞受賞。97年カーワイズ入社。入社3カ月で同社トップセールスに。99 年ワイズ山川設立。同社取締役就任。2004 年ビィ・フォアード設立。創業20年で年間12 万9 千台を超える中古自動車を207の国と地域に輸出、自動車流通プラットフォームとして世界最大級の取引量となる企業に成長させる。



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