被災地と「クルマ好き」が基点の縁が再会(6月19日、陸前高田市 慈恩寺にて)

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クルマ好きの肖像を紹介し自動車ビジネスの参考にするこの企画、前回2月の掲載の後、東日本大震災で休止していた。
しかし、震災支援に「クルマ好き」からつながった不思議な縁に出会い、「クルマ好きは日本を復興させる。」そう確信した。
そんな思いでまた「クルマ好き」を見つけていくことを再開することにした。
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6月中旬、横浜市郊外の中古車販売店の店頭。梅雨空の下、VWヴァナゴン・キャンピングカーでの作業。「もう少し、何とかならないかな」店長がメカニックに言う。「向こうではこいつが頼りなんだ」。
一週間後、初夏が訪れた被災地の岩手県陸前高田市、避難所となっている寺にそのヴァナゴンは到着した。ボディの横には「被災地移動居酒屋」の看板。「本当にまた来て下さるとは」と地元の被災者たちが出迎えた。
「横浜オート」(横浜市旭区)は普段は輸入車を中心に中古車販売を営む。店長は輸入車エンスーで自らもヴァナゴンが愛車。
大震災が起きたとき「自分も支援に行きたい」と、すぐAAでヴァナゴン・キャンピングを仕入れた。人も荷物も運べて良い。何より自分が使い慣れている。
同じ頃、居酒屋「Qoo(喰)」(横浜市瀬谷区)を営む五十嶺実(いずみね・みのる)も被災地支援への思いに駆られていた。自分が普段していることはお酒と食事でお客様の笑顔を引き出すこと。被災者にも笑顔を届けられないだろうか。
「Qoo」は横浜オートの店長行きつけの店。ほどなくして店長と五十嶺は「被災地支援居酒屋」計画に意気投合した。
4月に入り、五十嶺はツィッターで発信した。しかし帰ってきた答えは「それどころではない」「まだ酒はだめだ」被災地はまだ混乱の中。喪も明けていない。
そんな中、被災地のボランティアから帰ってきた学生が「陸前高田市の広田町なら対策本部を紹介できます。」と返信をくれた。
何もかも手探りでの準備。「Qoo」の納入先の協力で食料と酒類は一杯に用意した。が、生ビールのサーバが無い。被災地はまだ肌寒く必要ないかもしれないが。
メンバーは店長と五十嶺、そして「Qoo」の常連客、の3人。人手も足りない。
この話を聞いた横浜陸運事務所(横浜市都筑区)は軍手を千組用意した。「向こうまで届けて下さい」と。
これらの物資と思いを載せて4月29日未明、ヴァナゴンは横浜を出発、会場となる広田町の避難所のひとつの慈恩寺に昼頃到着。避難所の住民たちが集まり、酒と料理を味わう。そしてお互いに近況を語らい合い、いつしか顔がほころぶ。
「昨日が四十九日だったんだよ」と住職。「あなたたちは良いときに来て下さった。」
居酒屋の「店員」4名は大忙しで酒と料理をふるまう。4人目は「Qoo」の常連客の「中ちゃん」。横浜から新幹線とタクシーを乗り継いで手伝いに来た。
「また戻って来ます」4人は現地の住民に誓った。
それぞれが日常の仕事に戻る傍らで次の準備を始めた。
五十嶺はビールサーバを手配。「旬菜料理・でんご」(さいたま市浦和区)を営む藤原祥法(ふじわら・よしのり)が機材を提供、自分も参加すると申し出た。
店長はヴァナゴンの改修を始めた。照明の電気が足らないのでソーラーパネルを増設。そしてパワー不足に動力系を点検。装備と物資で重いのは分かっている。しかし現地まで何としても届けないといけないのだ。
6月19日未明、「移動居酒屋」は再び横浜を出発。今回は前回の4名、そして浦和で藤原と合流して合計5名。ビールサーバも搭載した。
前回よりも大重量でますます走らない。おまけに車内は物資が上まで積まれて揺れる。
そんな笑えないコメディのようなさまでヴァナゴンは一路陸前高田へ東北道を、そして三陸の山中を走る。
「本当にあなた方とは不思議な縁がある」と住職。「今日は百日目なんですよ。(被災者の)皆さんも明日から仮設住宅に移るんです。ちょうど良いときに来て下さった。」
また居酒屋に住民たちが集い、語らいが始まる。皆、待っていたのだ。被災地に初夏の夕涼み。ビールサーバを持ってきて良かった。
横浜に戻る車中。疲れの中での充実感。互いに今回を振り返る。
「ところで」中ちゃんが口を開いた。「乗るなら、やっぱ軽(自動車)ですかね?」また一人、クルマ好きが増えた。
この「被災地移動居酒屋」、次回は10月の実施を計画。被災地へとより多くの想いをつなげたいと考えている。
「クルマ好き」から多くの仲間が支援につながった不思議な縁。そして、それらを載せてますます重くなるであろうヴァナゴンの重量。店長は対策に頭をめぐらせている。